上京区

京を追われてしまった公卿「三条実美」

梨木神社2

三条実美の屋敷跡(現:梨木神社)
当サイト上京区史跡マップ④番の位置 MAPはこちら>>

三条実美(さんじょうさねとみ)は、
安政の大獄で謹慎処分となった三条実万(さんじょうさねつむ)を父に持ち
尊王攘夷の志の強い公家でした。

母は、土佐藩の第10代藩主、
山内豊策(やまのうちとよかず)の娘。

また、兄の三条公睦(さんじょうきんむつ)の妻も
土佐藩第15代藩主山内容堂(やまのうちようどう)の妹という
関係で、土佐藩とは少なからず縁があったんですね。

余談ですが、実美の兄公睦は27歳で亡くなってしまったので、
未亡人となった信受院(山内容堂の妹)に仕えるために
龍馬の初恋の相手といわれる平井加尾が京(現:京都)へ行き、
河原町の土佐藩邸に居たこともあるんですねえ^^

実美は、兄が早くに亡くなったため、
三条家を継ぐことになりました。

実美の父、実万は尊王愛国の精神が強く、
日米修好通商条約の天皇の許可を出すことに反対し、
また、将軍の後継ぎ問題では、
一橋慶喜(徳川慶喜)(ひとつばしよしのぶ(とくがわよしのぶ))を推したんですね。

彦根藩主の井伊直弼とは真逆の立場でした。

そのため井伊直弼が幕府で実権をにぎり、安政の大獄が起きると
実万は謹慎処分となってしまったんです。
そしてその年のうちに亡くなってしまいました。

その後、安政の大獄を引き起こした井伊直弼が暗殺され、
尊王攘夷派が息を吹き返し、佐幕派を追い落として
どんどん強くなっていきました。

実美は、父の遺志を継いで、
尊王攘夷派の公卿の中心的存在として活躍。

国事御用掛(こくじごようがかり)というのに任命されると、
尊王攘夷志士たちが、実美のもとへ殺到したそうです。

幕末御所案内図京都御苑
幕末当時の御所案内図と現在の京都御苑

文久2(1862年)年後半から文久3年にかけては
尊王攘夷派たちにとって一番の盛り上がりを見せた時期でした。

ですが、過激になる尊王攘夷派の行動や
実美たちによって、自分の意志とは違う勅語(天皇の言葉)を
勝手に出されることに孝明天皇は、
だんだん嫌気をさしてくるんですよね。

そして、佐幕派の公卿に、
「自分の本心じゃないのに…」
と、愚痴るんです。

そこへ、薩摩藩と会津藩らが手を組んだ公武合体派が
「三条実美ら尊王攘夷派公卿と長州藩を追い払いましょう!」
と、孝明天皇にささやくわけですよ。

孝明天皇は、まんまと薩摩藩らの誘いに乗りました。
そしておきたのが八月十八日の政変といわれるクーデターです。

それによって、実美たちは、
前日までは天皇のそばで仕えていたはずのに
朝目覚めると、宮中へ参内することができなくなっていて、
朝廷から追われ、京から追い出されてしまうんです。

実美らにとっては、
何が何だかわからずに呆然としたことでしょうね^^;

長州藩邸跡
長州藩邸跡
当サイト中京区史跡マップ⑪番の位置 MAPはこちら>>

実美らとともに、朝廷内で力を発揮していた
長州藩でしたが、八月十八日を境に
突然、御所の堺町御門の警備を外され、
長州(現:山口)へ戻らざるを得なくなりました。

そして、実美ら7人の公卿と一緒に長州へ向かったんです。
これが七卿落ち(しちきょうおち)といわれるものです。

三条実美と土佐藩士の接点

龍馬と中岡慎太郎像武市半平太寓居跡

幕末の京における三条実美と、土佐の勤王志士の龍馬、
中岡慎太郎(なかおかしんたろう)、武市半平太(たけちはんぺいた)が
どんなふうにかかわっていたかというと…

龍馬は、この時期には実美と直接かかわってはいないようです。

このころの龍馬は、まだ幕末の風雲児といわれた龍馬ではなく、
海軍操練所をつくり、また蝦夷地(現:北海道)開拓計画を
模索していた頃で、他の尊王攘夷志士たちとは違う
独自路線を走っていたんですね^^

龍馬が実美と接するのは、
実美が長州へ行った後、さらに幕府の命令で
大宰府(現:福岡)で幽閉生活を送っているころです。

そして慶応元(1865)年5月には、龍馬は3度も実美らの元を訪れ、
薩摩藩と長州藩の和解について説いているんですね。

実美たちを追い落とした薩摩藩と
実美たちが信頼を寄せている長州藩が
手を組むということを受け入れるのは、
とても複雑な気持ちだったでしょうね^^;

中岡慎太郎も京時代ではなく、実美らが長州へ落ちたあと、
土佐を脱藩してから実美ら公卿の護衛をつとめています。

実美が京で一番力を持っていたころに通じていたのは、
土佐藩士の中では武市半平太ですね。

半平太も土佐藩の佐幕派を一掃して尊王攘夷派の上士で固め、
自分たち土佐勤王党が裏で糸を引いていたころだったので、
実美らや長州藩士たちと密に連絡をとりあっていたようです。

梨木神社について

梨木神社説明板梨木神社1
梨木神社
当サイト上京区史跡マップ④番の位置 MAPはこちら>>

幕末当時、三条実美たち三条家の屋敷があった場所には、
現在は「梨木神社(なしのきじんじゃ)」があります。

この神社は、明治18(1885)年10月につくられ、
三条実万・実美親子が御祭神として祀られています。

また、梨木神社の湧水は、京都三名水のひとつとされているんです。

そして、境内には約500株もの萩が植えられている名所で、
別名「萩の宮」とも呼ばれていて、9月が見頃だそうですよ^^

スポンサーリンク







スポンサーリンク




関連記事

  1. 無動庵 嵯峨野嵐山にある土佐四天王像と天龍寺
  2. 寺田屋 今でも泊まれる!京都伏見の寺田屋
  3. 武市瑞山寓居跡 京の「武市半平太(瑞山)」仮住まい石碑
  4. 龍馬通看板 龍馬の隠れ家「酢屋」がある龍馬通
  5. 阪急河原町駅 四条から三条にかけて河原町界隈にある幕末史跡今と昔
  6. 幕末京都時代の桂小五郎
  7. 河原町駅 京都中京区河原町木屋町界隈にある坂本龍馬史跡マップ
  8. 相国寺薩摩藩士の墓 蛤御門の変で果てた志士たちが眠る上善寺と相国寺

ピックアップ記事

  1. 嵯峨嵐山看板
  2. 二本松薩摩藩邸跡地
  3. 島原大門
  4. 五代友厚大阪商工会議所銅像
二本松薩摩藩邸石碑
  1. 河原町駅
  2. 京都御所正門
  3. 龍馬の墓
  4. 坂本龍馬酢屋石碑
  5. 京阪七条駅
  6. 大阪市福島区中央市場前交差点
  7. 御所の門
  8. 桂早之助墓石碑
  9. 半平太と寅太郎寓居跡
  10. 神戸交通センタービル
  11. 中京区西側
  12. 円山公園銅像
  13. 真言坂石碑

ピックアップ記事

  1. 明保野亭1
  2. 天満屋事件跡
  3. 京都御所
  4. 霊山護国神社境内
  5. 桂早之助墓石碑

アーカイブ

スポンサーリンク




おすすめ記事

  1. 武力討幕派の志士、陸援隊隊長「中岡慎太郎」 円山公園銅像
  2. 京都御所の蛤御門に残る「禁門の変」の跡 蛤御門
  3. 京都と大阪での小松帯刀 小松帯刀屋敷跡石碑
  4. 大阪市福島区にある坂本龍馬史跡マップ 大阪市福島区中央市場前交差点
  5. 大阪にある坂本龍馬ゆかりの地 大川河川看板
  6. 池田屋事件発端の重要人物「古高俊太郎」 古高俊太郎石碑
  7. 平成27年今年も高知駅前の龍馬像は台風11号で避難中 龍馬像撤去
  8. 幕末に大阪湾の防衛拠点にもなった天保山 天保山跡石碑
PAGE TOP