上京区

幕末の重要拠点二本松薩摩藩邸

二本松薩摩藩邸石碑

二本松薩摩藩邸跡地 当サイト上京区史跡マップ⑥番の位置 MAPはこちら>>

京都市上京区、京都御所北側にある近衛殿に向かい合うように
二本松の薩摩藩邸はありました。

二本松の藩邸は、もともとあった錦小路(にじきこうじ)の藩邸が、
手狭になったという理由で、文久2(1862)年9月に
相国寺から敷地を借りてつくられたものです。

そしてこの藩邸は、幕末の重要な拠点なっていきました。
まるで、幕末の舞台になるためにできたような藩邸ですね^^

また、龍馬にとってもこの二本松の薩摩藩邸は、
とても縁のある場所だったんです。

一番有名なことといえば、それまで犬猿の仲だった
薩摩藩と長州藩が龍馬と中岡慎太郎(なかおかしんたろう)が、
仲を取り持ち、軍事同盟を結んだ薩長同盟締結ですね。

当時、脱藩浪士や朝敵となってしまった長州藩士が
京(現:京都)に入るというのは、命がけ!

幕府の捕吏や新選組などに見つかれば
捕まるか即座に殺されてしまうからです。

そんな中、長州藩士の桂小五郎(かつらこごろう)は、
命の危険を冒してまでこの二本松の薩摩藩邸に来ました。

そして、西郷隆盛(さいごうたかもり)、小松帯刀(こまつたてわき)らと
会合を重ねたんですね。

でも隆盛らと小五郎の会合が始まった最初の頃は、
龍馬はまだ到着していなかったんです。

そのため、もともと仲が悪かっただけに、
話はなかなか前に進まなかったようです^^;

小松帯刀寓居跡石碑
小松帯刀寓居跡石碑
当サイト上京区史跡マップ⑤番の位置 MAPはこちら>>

隆盛たちと小五郎らの会合という名の酒宴が行われ続け、
10日ほど過ぎたころ、ようやく龍馬が到着!

龍馬が隆盛と小五郎の間をとり持って、
最終的には、二本松藩邸ではなく、
小松帯刀の屋敷で薩長同盟は締結されたといわれています。

寺田屋事件石碑材木小屋写真
左:寺田屋事件石碑 右:龍馬避難の材木小屋(霊山歴史館撮影コーナーにて撮影)
当サイト伏見区史跡 左:マップ①番の位置 右:マップ④番の位置 MAPはこちら>>

薩長同盟が結ばれた後に、
伏見の寺田屋で伏見奉行所の捕吏たちに襲撃され、
なんとか逃げたものの、大けがを負った龍馬は、
最初は伏見の薩摩藩邸に保護されました。

でも、伏見藩邸では警護も手薄だし、
傷の手当てもままならないということで、
隆盛の指示のもと、二本松藩邸に移って
しばらく滞在しています。

龍馬最後の居住地

龍馬暗殺跡地近江屋写真
左:龍馬暗殺の石碑 右:龍馬暗殺近江屋内(霊山歴史館撮影コーナーにて撮影) 
当サイト中京区史跡マップ②番の位置 MAPはこちら>>

そして、そして…

龍馬が暗殺される前のこと、
龍馬は命の危機を感じていたので、
安全のためにも、河原町の土佐藩邸に入りたかったんですよね。

なのに!

龍馬は、土佐藩士とはいえ、2度も脱藩しているため、
脱藩の罪は赦されているにもかかわらず、
藩の役人たちの中には龍馬を快く思っていない面々もいたんです。

で、龍馬が土佐藩邸に居ることを拒否したんですよ!

そこで、薩摩藩側は龍馬に、二本松の薩摩藩邸に
居ることをすすめたんです。

でも、

「自分が生まれ育った藩に拒まれているからといって、
よその藩にお世話になるのもなあ。」

と、土佐藩に配慮して、その誘いを龍馬は断ってしまったんです。

そして近江屋で住むことになって、
慶応3(1867)年11月15日に命を落とすことになったんですよね。

龍馬の妻のおりょうの談話によると、
龍馬暗殺の報せを聞いた西郷隆盛は、

「おい後藤!貴様が苦情を言わずに土佐屋敷へ入れておいたなら、
こんなことにはならないのだ!全体土佐のやつらは薄情でいかん!」

「土佐・薩摩を訪ねても他にあのくらいの人物はないわ!
ええ惜しいことをした!」

と、土佐藩上士の後藤象二郎(ごとうしょうじろう)を、
怒鳴りつけた。と言っています。

土佐藩の龍馬に対する事情を知っていただけに、
余計に隆盛は怒ったんでしょうね^^;

現在の二本松薩摩藩邸跡

同志社大学
同志社大学

二本松の薩摩藩邸跡は、現在では同志社大学の
今出川キャンパスに生まれ変わっています。

幕末、政治的に重要な拠点となった二本松の薩摩藩邸は、
明治時代になって、NHK大河ドラマ「八重の桜」
で有名になった新島八重(にいじまやえ)の夫、
新島襄(ごとうしょうじろう)の手に渡りました。

そして、同志社大学がつくられたんですね^^

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