中京区

四条から三条の河原町・木屋町の幕末史跡めぐり

酢屋外観

現在、京都一番の繁華街四条河原町から三条への間は、
幕末の史跡がたっくさんあります!

上の写真、龍馬と中岡慎太郎(なかおかしんたろう)
殺害された場所も、河原町通りにあります。

龍馬殺害の場所
当サイト中京区史跡マップ②番の位置 MAPはこちら>>

史跡のほとんどはお店の脇や高瀬川の川べりに
ひっそりとありますね。

四条から三条にかけて、龍馬にまつわる史跡を歩いてみました。
四条から三条へは史跡をじっくりと見ながら歩いても
20分もあれば十分ではないでしょうか^^

阪急河原町から北へ三条に向かってご紹介していきます。

京都市中京区 四条~三条にかけての史跡

中岡慎太郎寓居跡
当サイト中京区史跡マップ①番の位置 MAPはこちら>>

慎太郎が、京都に潜伏中に仮住まいとしていたのが、
四条の河原町通りに面した「菊屋」という本屋さんでした。

菊屋は、土佐藩出入りの書店で、
慎太郎が陸援隊を結成して白川の土佐藩邸へ
移るまで菊屋に滞在しています。

菊屋の息子、峰吉は慎太郎はもちろんのこと、
龍馬にもとても懐いていて、
二人にとてもかわいがられたそうです。

うらやましいっ!^^

そして、慶応3(1867)年11月15日の夜、
龍馬に軍鶏を買うように頼まれ、帰ってきたときに
龍馬と慎太郎が暗殺された状況を
最初に発見したのも峰吉だったんです。

その時峰吉は、大急ぎで陸援隊詰所の
白川土佐藩邸まで、惨状を報せに行ったそうです。

近江屋跡地
当サイト中京区史跡マップ②番の位置 MAPはこちら>>

現在は、上記の菊屋(慎太郎寓居跡)の場所から1~2分、
信号を渡って少し北へ行ったところに
龍馬と慎太郎が殺害された「近江屋」跡の石碑があります。

醤油商の近江屋は、海援隊の京都詰所で龍馬が住んでいた
「酢屋」が幕府側に目をつけられたことで、
龍馬が移り住んだところです。

龍馬が近江屋に移り住んだのは、殺害の時から
わずかひと月ほど前でした。

慎太郎とともに、徳川慶喜(とくがわよしのぶ)
大政奉還したを見届け、江戸時代の終わりを
実感しながらも実際には江戸から明治への移り変わりを
見ることなく逝ってしまいました。

菊屋も近江屋も、京都一の繁華街河原町通りの中に
石碑がひっそり立っています。

気をつけて見ないと、見落としてしまいます。

街並みのにぎやかさと静かに立っている石碑の対比が
時代の流れをしみじみと感じますね^^;

土佐藩邸
当サイト中京区史跡マップ④番の位置 MAPはこちら>>

龍馬の故郷である土佐藩の藩邸跡地は、
四条河原町を上がった高瀬川沿いにあります。

土佐藩は、勤王の志士たちを多く出しましたが、
藩として佐幕か勤王かの方向があいまいで、
どちらかといえば佐幕寄りの時が多かったため、
志士たちは、藩にとどまることなく脱藩していきました。

だから、土佐藩邸に足を向けた勤王志士たちは
少なかったことでしょうね。

ただ、幕末も終盤のころになると、
龍馬や慎太郎の活躍のおかげで土佐藩も
脚光を浴びることになります。

藩の上士である後藤象二郎(ごとうしょうじろう)
乾退助(板垣退助)(いぬいたいすけ(いたがきたいすけ))
の台頭によって、龍馬らとのかかわりが深くなってきます。

特に慎太郎の陸援隊は、ここ河原町の土佐藩邸から
陸援隊本部がある白川の土佐藩邸へ、
まかない食としてご飯とおつけものが運ばれていました。

土佐稲荷
当サイト中京区史跡マップ③番の位置 MAPはこちら>>

幕末当時土佐稲荷(岬神社)は、土佐藩邸の敷地内にあり
地元の町の人々の信仰もあつかったため、
土佐藩邸敷地内へ一般の人たちも自由に入って
詣でることができたそうです。

ですが、明治維新後に土佐藩邸が売却されたのを機に
下大阪町に一時移ったそうですが、
神社が衰退するのに心を痛めた、近江屋の主人が
明治20年に今の場所へ移したそうです。

近江屋の主人、井口新助という人は、龍馬たち勤王志士に
尽くしただけでなく、江戸時代が終わり、
時代が変わった後でも土佐藩にまつわる神社を
ていねいに祀った心のある方だったんですね^^

おりょう独身時代住居跡
当サイト中京区史跡マップ⑤番の位置 MAPはこちら>>

おりょうが独身時代、父が無くなった後家計を助けるため
働きに出ていたころに住んでいたといわれている
辺りの場所にある石碑です。

おりょうも龍馬と知り合う前後に、
この界隈に住んでいたことがあるんですね。

この住まいに龍馬は、おりょうを訪ねて
来たこともあったのかなあ…

酢屋
当サイト中京区史跡マップ⑥番の位置 MAPはこちら>>

「酢屋」は、河原町三条を一筋下ったところにあります。

このお店は、龍馬が居たころよりもずっと前から
現在まで、持ち主も場所も変わることなくあります。

これってとっても貴重なことですよねっ!

内装や外装は、年月の流れとともに新しくなっていますが、
本当の本当に、龍馬たちがこの建物の中で
寝泊りし、談合したってことですもんね^^

酢屋は、龍馬が仮住まいとしてしていただけでなく、
海援隊の京(現:京都)での拠点としても使われていました。

だから、龍馬が暗殺された直後に
陸奥陽之助(陸奥宗光)(むつようのすけ(むつむねみつ))
海援隊士が、紀州藩士三浦休太郎が犯人と決めつけて
襲撃した天満屋事件。

その打ち合わせも、酢屋でしたといわれています。

現在酢屋は、龍馬が住んでいた部屋を
ギャラリー龍馬として開放しているので、
見学することもできますよ^^

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