上京区

京の西郷隆盛と龍馬との出会い

錦小路薩摩藩邸跡石碑

京都市中京区の錦小路にある薩摩藩邸で、
西郷隆盛(さいごうたかもり)と龍馬は、
最初の出会いをしています。
龍馬が勝海舟(かつかいしゅう)の紹介で
元治元(1864)年8月に隆盛を訪ねたんですね。

錦小路薩摩藩邸跡石碑錦小路薩摩藩邸跡案内
錦小路薩摩藩邸跡 当サイト中京区史跡マップ①番の位置 MAPはこちら>>

その後龍馬は、勝海舟に隆盛のことを釣鐘に例え、
自分を鐘をたたく撞木(しゅもく)に例えてて、

「少したたけば小さく響き、大きくたたけば大きく響く。
もしバカなら大きなバカで、利口ならば大きな利口だろう。
ただ、鐘をつく撞木が小さかったのが残念だった。」

と話しています。

この出会いをきっかけに、
龍馬と隆盛の深い友情と信頼関係は育まれていったんですね。

西郷隆盛の京での働き

京都御所周辺図
京都御所周辺図
当サイト上京区史跡マップ③番の位置 MAPはこちら>>

龍馬と隆盛の最初の出会いよりも1ヵ月ほど前に
禁門の変(蛤御門の変(はまぐりごもんのへん))がおきています。

長州軍が藩主の無実を訴えるという名目で
御所に向けて挙兵した事件。

最初は長州軍が有利でした。

そこへ遅れて駆けつけたのが隆盛率いる薩摩軍。

薩摩軍が幕府軍の応援に来たことで形勢は逆転。
その結果、長州藩軍は負けてしまって朝敵になりました。

そして、八月一八日の政変以来の長州の薩摩嫌いは更に強くなり、
長州藩士から「薩奸会賊」と呼ばれるようになったんですね^^;

隆盛は、この禁門の変で足に銃弾を受けて負傷しながらも、
薩摩軍を指揮し、長州軍を壊滅させたんですね。

二本松薩摩藩邸跡小松帯刀屋敷跡石碑
左:二本松薩摩藩邸跡石碑 右:小松帯刀屋敷跡石碑
当サイト上京区史跡マップ左:⑥番の位置 右:⑤番の位置 MAPはこちら>>

八月一八日の政変、禁門の変のあと、
長州藩の薩摩藩への憎悪は相当なものになっていましたが、
龍馬や中岡慎太郎(なかおかしんたろう)らの
あっ旋によって、薩摩藩と長州藩は手を握ることに成功!

でも本当は、薩摩まで慎太郎が隆盛を鹿児島まで船で迎えに行き、
下関で下船してそこで同盟を結ぶはずが、
そのときは隆盛は船を下りずに京(現:京都)へ逃げてしまって
いったんはお流れになってしまっていました。

だけど、慎太郎も龍馬もそこであきらめなかったんですよね!

そして、慶応元(1865)年1月21日のことです。

二本松の薩摩藩邸で長州藩の桂小五郎(かつらこごろう)らと、
隆盛や大久保一蔵(利通)(おおくぼいちぞう(としみち))
小松帯刀(こまつたてわき)らが龍馬立ち会いのもと、
二本松の薩摩藩邸で薩長同盟を結んだんですね。

(小松帯刀の屋敷で締結したともいわれています。)

西郷隆盛と寺田屋にかかわる事件

材木小屋と龍馬伏見薩摩屋敷跡石碑
左:材木小屋内(霊山歴史館撮影コーナーにて撮影) 右:伏見薩摩藩邸跡石碑
右:当サイト伏見区史跡マップ⑤番の位置 MAPはこちら>>

薩長同盟を無事終えて、伏見の寺田屋に戻った龍馬は、
その夜、待っていた長府藩士の三吉慎蔵(みよししんぞう)とともに、
伏見奉行所の役人に襲撃されました。

龍馬は大ケガを負いながらも、なんとか寺田屋を脱出、
慎蔵とともに近くの材木小屋まで逃げ延びました。

そしてケガのなかった慎蔵が伏見薩摩藩邸へ報せに走って
龍馬は命を助けられたんです。

その後隆盛らのすすめで、
傷の養生と幕府からの追跡をのがれるために、
龍馬はおりょうも一緒に、薩摩(現:鹿児島)へ
日本で初といわれる新婚旅行を兼ねて旅に出たんですよね^^

そして、鹿児島から長崎に渡ってしばらくした
慶応2(1866)年12月に龍馬が故郷の乙女姉に出した手紙には、

『私し其内にも安心なることは、
西郷吉之助(さいごうきちのすけ)(西郷隆盛)の
奥さんも彼も、とっても心の良い人なれば、
此方へ妻など頼めば、何もきづかいなし。』

※私がそうしたなかで安心なことは、西郷吉之助の
奥さんも彼も、とても心のよい人なので
ここへ妻をお願いすれば、何も気遣いなし。

と書いているくらい、龍馬も隆盛のことを信頼していたんですね^^

寺田屋騒動石碑大黒寺 左:当サイト伏見区史跡マップ①番の位置 MAPはこちら>>

龍馬が幕吏に襲われた同じ寺田屋で、
龍馬の事件よりも4年前の文久2(1862)年4月23日。

薩摩藩の尊王派の志士たちが、
藩主の父島津久光(しまづひさみつ)の命令で
説得に来た同じ薩摩藩士に上意討ちされ、鎮撫されました。

伏見区の大黒寺に眠る9名の志士の墓石の横には、
隆盛が志士たちを弔うために、揮毫した墓碑が立っています。

西郷隆盛が利用した料亭

一力亭角屋
左:一力亭 右:角屋
右写真:当サイト下京区史跡マップ①番の位置 MAPはこちら>>

隆盛らは、豪商や、志士たちとの会合で
いろいろな料亭を使ったようです。

祇園にある一力亭は、現在も営業している格式の高いお茶屋。
赤穂浪士の大石内蔵助も通ったといわれる歴史のあるお店です。
ここへ隆盛や大久保利通らも通ったといわれています。

そして、日本三大花街の一つといわれた島原にある、
揚屋の角屋では、勤王活動の資金集めのために
豪商を招いて接待の場として使っていたそうですよ。

この角屋は、揚屋建築の唯一の遺構として、
国の重要文化財の指定を受けている貴重な建物なんです^^

スポンサーリンク







スポンサーリンク




関連記事

  1. 禁門の変で自ら命を絶った久坂玄瑞
  2. 相国寺薩摩藩士の墓 幕末の薩摩藩士たちが眠る京都の3つのお寺
  3. 梨木神社2 京を追われてしまった公卿「三条実美」
  4. 京大キャンパス 現在は京大キャンパスに!陸援隊跡地
  5. 天満屋事件跡 龍馬暗殺の仇討襲撃「天満屋事件」
  6. 阪急河原町駅 四条から三条にかけて河原町界隈にある幕末史跡今と昔
  7. 二本松薩摩藩邸跡地 幕末の歴史的転換「薩長同盟」
  8. 近江屋跡 龍馬と慎太郎最期の場所「近江屋」

ピックアップ記事

  1. 大倉山駅
  2. 天保山風景
  3. 土佐四天王の像
  4. 古高俊太郎石碑
  5. 大川河川看板
薩摩伏見屋敷石碑
  1. 坂本龍馬肖像画写真
  2. JR高知駅龍馬像
  3. 桂早之助墓石碑
  4. 中京区西側
  5. 陸援隊跡地
  6. 明保野亭1
  7. 龍馬ゆかりの地兵庫
  8. 酢屋外観
  9. 土佐藩邸跡石碑
  10. 霊山護国神社境内
  11. 左京区エリアマップ
  12. 真言坂石碑
  13. 坂本龍馬酢屋石碑
  14. 小松帯刀屋敷跡石碑

ピックアップ記事

  1. 阪急三宮駅
  2. 中京区西側
  3. 坂本龍馬肖像画写真
  4. 薩摩伏見屋敷石碑
  5. 同志社

アーカイブ

スポンサーリンク




おすすめ記事

  1. 京都で幕末の志士たちが集った旅館や料亭 鴨川
  2. 今でも泊まれる!京都伏見の寺田屋 寺田屋
  3. 幕末の歴史的転換「薩長同盟」 二本松薩摩藩邸跡地
  4. 京都中京区にある坂本龍馬史跡マップ 中京区西側
  5. 大阪市住吉区にある脱藩前に訪れた龍馬ゆかりの地 住吉陣屋跡
  6. 武力討幕派の志士、陸援隊隊長「中岡慎太郎」 円山公園銅像
  7. 蛤御門の変で果てた志士たちが眠る上善寺と相国寺 相国寺薩摩藩士の墓
  8. 尖鋭勤王志士達の悲劇「池田屋事件」 池田屋跡石碑
PAGE TOP