下京区

池田屋事件発端の重要人物「古高俊太郎」

古高俊太郎石碑

古高俊太郎仮住まい(枡屋)跡地 当サイト下京区史跡マップ②番の位置 MAPはこちら>>

古高俊太郎(ふるたかしゅんたろう)は、近江(現:滋賀)の生まれで、
尊王攘夷の先駆者、梅田雲浜(うめだうんびん)の影響を受け、
勤王志士たちとも交わっていきました。

京に上ってからは、請われて文久元(1861)年に
諸藩と商いをしていた、薪炭商「枡家」の養子となり
枡屋喜右衛門(ますやきえもん)という名で
表向きは商家の主人として商いをしていました。

諸藩と商売をしているという立場上、
武士が出入りすることも不思議ではないので
影では勤王志士たちをかくまったり、
倒幕運動のための武器や弾薬などを集めていたんです。

龍馬と俊太郎が直接交わったという話は
伝わってきませんね。
この頃の龍馬は、神戸海軍操練所のことに
一生懸命でしたからね^^;

長州藩邸石碑
長州藩邸跡石碑
当サイト中京区史跡マップ⑪番の位置 MAPはこちら>>

俊太郎は、特に長州藩士と関係が深かったため
長州藩の間者として情報を入手するなどもしていたようです。

枡屋は、諸藩と取引があり、
筑前福岡藩の御用達でもあったので、
京都の藩屋敷や公家屋敷へ出入りしても
不審がられることはないわけです。

一説には、俊太郎は、長州萩藩の毛利家と遠縁に
あたるともいわれていますね^^

池田屋事件跡地の石碑
池田屋跡地
当サイト中京区史跡マップ⑦番の位置 MAPはこちら>>

元治元(1864)年6月5日、ついに枡屋に新選組が踏み込みます。
そして俊太郎は捕らえられてしまうんです。

相当ひどい拷問にかけられたそうですが、
俊太郎は、一切何もしゃべらなかったそうです。
そんな状態に業を煮やした、土方歳三(ひじかたとしぞう)は、
究極とも思える拷問にかけました。

縛り上げた俊太郎を逆さに吊るし、足の裏に五寸釘を打ち、
突き抜けた釘に百目蝋燭を立てて、火をつけたんです!!

溶けだした熱い熱いロウが足の裏に落ち、流れ出していきますっ!

このあまりにも過酷な拷問に、
ついに長州藩士や土佐浪士たちとの
秘密の話を自白してしまうんです。

その内容とは、

『風の強い日に御所に火を放ち、
佐幕派の大名を殺害して天皇を長州に連れ去る。』

というもの。

その内容に驚いた新選組は、
長州藩士たちが談合するために集まっていた
池田屋を襲撃しました。

それが、有名な池田屋事件です。

でもこの自白内容は実は新選組のでっちあげで、
本当は長州藩士たちが集まっていたのは、

「俊太郎が新選組に捕まったのを、どうやって救い出そうか。」

という相談のためだったとも言われているんですよね^^;

この池田屋の談合には、龍馬が塾頭の神戸海軍操練所の一員、
望月亀弥太(もちづきかめやた)たちも含まれていたんです。

だから、勝海舟(かつかいしゅう)の失脚や
神戸海軍操練所閉鎖の一因ともなった、
龍馬にとっても重大な事件なんですね^^;

六角獄舎跡地1六角獄舎跡地2
古高俊太郎最期の地(六角獄舎跡) 当サイト中京区史跡マップ②番の位置 MAPはこちら>>

上記の池田屋事件がきっかけとなり、
禁門の変(蛤御門の変)(きんもんのへん(はまぐりごもんのへん))
という長州藩の大暴動が起きてしまうんですっ。

京都御所の門のところで長州藩士たちと会津藩や薩摩藩、
桑名藩たち幕府側の軍との激しい銃撃戦が起き、
最初は優勢だった長州軍ですが、
薩摩藩が幕府軍に加わったことで、長州軍は敗れてしまいました。

その際、長州軍は自分たちの屋敷に火を放ちます。
その火は京の町を燃えつくすほどの勢いだったそうで、
数日間燃え続けたそうです。

そのため、六角獄舎(ろっかくごくしゃ)
に捕らえられていた俊太郎ら尊王攘夷の志士たちが、
どさくさに逃げてはいけないと怖れた役人によって
処刑されるという最期だったんです^^;

現在の古高俊太郎寓居跡

しる幸外観1しる幸外観2
「しる幸」の写真
しる幸(古高俊太郎仮住まい跡地) 当サイト下京区史跡マップ②番の位置 MAPはこちら>>

俊太郎が、枡屋喜右衛門として住んでいた場所は、
現在では「しる幸」という京料理のお店になっています。

四条河原町通りを少し上がった細い路地を
曲がったところにあります。

写真を撮りに行ったのが朝早めの時間だったので
お店は閉まっていました。

繁華街の中にあるのに、風情のある外観でしたよ^^

スポンサーリンク







スポンサーリンク




関連記事

  1. 酢屋外観 四条から三条の河原町・木屋町の幕末史跡めぐり
  2. 薩摩伏見藩邸石碑 龍馬の命を救った伏見薩摩藩邸
  3. お登勢写真 龍馬の京都の母?!『お登勢』
  4. 同志社 京都市上京区の幕末史跡を訪ねて歩く
  5. 岩倉具視旧宅外観 国の史跡に指定「岩倉具視幽棲旧宅」
  6. 二条城外観 将軍徳川慶喜、二条城で大政奉還を諮問
  7. 禁門の変で自ら命を絶った久坂玄瑞
  8. 小松帯刀屋敷跡石碑 京都と大阪での小松帯刀

ピックアップ記事

  1. 薩摩伏見屋敷石碑
  2. 龍馬像撤去
  3. 東粉浜小学校
  4. 島原大門
  5. 龍馬の墓
相国寺薩摩藩士の墓
  1. 天保山跡石碑
  2. 岩倉具視旧宅外観
  3. 龍馬ゆかりの地兵庫
  4. 左京区エリアマップ
  5. 龍馬とおりょう像
  6. お登勢写真
  7. 武市瑞山寓居跡
  8. 霊山護国神社境内
  9. 御所の門
  10. 河原町駅
  11. 阪急河原町駅
  12. 大阪市福島区中央市場前交差点
  13. 上京区エリアマップイメージショット

ピックアップ記事

  1. 左京区エリアマップ
  2. 京阪七条駅
  3. お登勢写真
  4. 同志社
  5. 無動庵

アーカイブ

スポンサーリンク




おすすめ記事

  1. 幕末に大阪湾の防衛拠点にもなった天保山 天保山跡石碑
  2. 神戸市中央区にある坂本龍馬史跡マップ 阪急三宮駅
  3. 京都左京区にある坂本龍馬史跡マップ 左京区エリアマップ
  4. 龍馬も大坂から京へ上るのに使った三十石船
  5. 大阪の土佐藩住吉陣屋で使われていた今も残る石垣 住吉陣屋石碑
  6. 薩摩藩の京都で最初にできた藩邸は錦小路 錦小路薩摩藩邸跡地
  7. 今でも泊まれる!京都伏見の寺田屋 寺田屋
  8. 願いが一つ叶う!?禁門の変で自害尼崎にある「残念さん」の墓 山本文之助の墓
PAGE TOP