幕末の歴史的転換「薩長同盟」

二本松薩摩藩邸跡地
二本松薩摩藩邸跡地(現:同志社大学敷地)
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慶応2(1868)年1月のことでした。

薩長同盟の締結のために西郷隆盛(さいごうたかもり)
桂小五郎(かつらこごろう)らが
二本松の薩摩藩邸で会合を重ねていましたが、
龍馬は到着が遅れていて薩摩屋敷にはいませんでした。

お互い勤王藩で想いは同じなんだけど、
感情的には深く対立しあっている薩摩藩と長州藩なので
本音を切り出せないまま、核心をついた話し合いができず、
ただひたすら毎日御馳走攻め。

それが10日間ほども続き、
ついに小五郎は長州(現:山口)へ帰ろうとします。

そこへ遅れていた龍馬が京(現:京都)へようやく到着!

龍馬からすれば、てっきり同盟が結ばれていると思っていたのに
話がまとまっていないことにガクゼンッ!

長州へ帰ろうとする小五郎を引き留め、
すぐに龍馬は一人薩摩屋敷へ行き、西郷隆盛らに
小五郎が龍馬に言った言葉をすべてぶつけました。

「薩摩(現:鹿児島)は天皇家のそばで尽くしているが、
長州は今や朝敵となり、幕府からも追われている。
もはや長州藩の命はほとんどない。」

「でも、薩摩があとに残って天皇家につくすのなら、
長州が幕府軍の砲火の前に滅亡しても、天下にとって幸いだ!」

そして龍馬は、
「長州がかわいそうではないか!」
と西郷に向かって叫んだんです。

そうして、西郷たちも心を決め、
龍馬が訪れた翌日、小五郎が待つに小松帯刀(こまつたてわき)邸に
足を運んで同盟を締結することになったんですね。
 

小松帯刀寓居跡石碑
小松帯刀寓居跡
当サイト上京区史跡マップ⑤番の位置 MAPはこちら>>

上記の二本松の薩摩藩邸からは、約1kmほどの距離の場所に
薩摩藩家老の小松帯刀の京都での屋敷跡があります。

龍馬や中岡慎太郎(なかおかしんたろう)が薩摩と長州の間に入って、
下関や薩摩(現:鹿児島)へも足を運び、

「感情での対立はいったん置いておいて、
幕府を倒して天皇を奉るためにも、
またお互いの藩の実利があるんだ。」

ということを話して、両藩は手を結ぶことを納得。

そして紆余曲折を経て、やっと慶応2(1868)年1月21日に
幕末の流れを変えたともいえる、薩長同盟を最終的に締結したのが
ここ小松帯刀の屋敷といわれています。
 

龍馬写真桂小五郎写真
左:龍馬 右:桂小五郎(木戸孝允)

当時、龍馬ら脱藩浪士もそうですが、
小五郎ら長州藩士が京に入るというのは命がけ。

いつどこで幕府の役人たちや新選組に捕まったり斬殺されても
おかしくなかったわけです。

だから、目的が果たせたことは、本当によかった!

とはいえ、あくまでもこの薩長同盟自体は口約束のものでした。

まだ心の底から薩摩藩を信頼しきれていない小五郎は、
その不安を消し去るため、薩長が倒幕のために協力し合うべく
提携した内容の6カ条を書きとめて龍馬に送り、
裏書きの署名を求めたんですね。

そりゃあ、もともと薩摩藩は、会津藩と手を組んで
長州藩を朝敵として追い落とした張本人のわけですから、

「これからは、今までのことは忘れて、
お互い倒幕のために協力し合いましょう!」

って、言葉で約束を交わしても信じきれなくても仕方ないですよね。

龍馬も小五郎の心がわかっているんでしょう。
ちゃんと小五郎が送ってきた書面の裏面に朱書で裏書き署名して
送り返しているんですよね。
 

寺田屋外観伏見薩摩藩邸石碑
左:寺田屋外観 右:伏見薩摩藩邸跡地
当サイト伏見区史跡 左:マップ①番の位置 右:マップ⑤番の位置 MAPはこちら>>

薩長同盟も無事終わり、慶応2年(1866年)1月23日、
龍馬は伏見の寺田屋に戻ってきます。

寺田屋で待っていた三吉慎蔵(みよししんぞう)
その喜びを語り合い、そろそろ寝ようとしていた深夜に
幕府の役人たちに寺田屋を取り囲まれたうえで襲撃されたわけです。

このときに、入浴中のおりょうが裸のまま
龍馬たちが居る2階へ異変を報せに走り上っていったという
有名なシーンがおきるんですね^^

そしてすきを見て龍馬と慎蔵は寺田屋を抜け出し、
川べりの材木小屋に身を隠します。

でも、その時龍馬は、幕府の捕吏(役人)の刀を
ピストルで受けたとき、指の動脈を切るほどの深い傷を
負ってしまってたんです。

だから、慎蔵ひとりで材木小屋を抜けて、
伏見の薩摩藩邸まで、事の次第を報せに走っていったんです。
そして薩摩藩邸に着いてみると、そこにはなんとおりょうの姿が!

おりょうは、龍馬たちが捕吏たちと格闘しているあいだに
そっと寺田屋を抜け出して
一足先に伏見藩邸に報せに行っていたんです。

おりょうのここぞ!というときの度胸の良さと行動力は、
女の私から見ても惚れぼれしますねっ!

おりょうと慎蔵の報せを受けて、薩摩藩士たちが
龍馬を助けに行って、一命を取り留めることができたんですね。
 

龍馬とおりょう像寺田屋前の船着き場
寺田屋向かいの宇治川派水と川べりにある龍馬とおりょうの銅像

寺田屋での襲撃のあと、
龍馬たちは最初は伏見の薩摩藩邸に居ました。

でも、ここは藩士たちも少なく警備も手薄だし、
医療もままならないということで、
西郷の指示のもと京の二本松屋敷へいったん移りました。

そして、命の心配はなくなったものの、傷は完治しておらず
幕府からの目をそらす意味もあって
西郷や帯刀らのすすめでおりょうと一緒に
薩摩へ旅行に行くことになるんです。

日本で一番最初の新婚旅行ともいわれている旅ですね^^

薩摩へは船で行くため、
いったん大坂(現:大阪)に出ないといけないので
伏見の寺田屋の前の浜から舟で淀川を下って行ったんですね。

当時の寺田屋の前の川幅は、現在の倍以上あったそうで
かなりの活気だったそうですよ^^

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