中京区

龍馬と慎太郎最期の場所「近江屋」

近江屋跡

近江屋跡地 当サイト中京区史跡マップ②番の位置 MAPはこちら>>

慶応3(1867)年11月15日、誕生日と同じ日に
龍馬は天に召されました。

京の河原町にある近江屋でこの日、
龍馬と中岡慎太郎(なかおかしんたろう)
そして下僕の藤吉(とうきち)の3名は、
近江屋で何者かに襲われました。

近江屋は、龍馬がここに来るまで住んでいた
材木屋の酢屋を幕府側が目をつけだしたため、
移り住んだところです。

この醤油屋の近江屋が選ばれた理由は、
土佐藩邸のすぐそばだったこと、
そして土佐藩に出入りしている店だったからのようです。

龍馬が近江屋へ移り住んだ時期は、諸説ありますが、
慶応3(1867)年10月には住んでいたようです。

龍馬暗殺の時

龍馬肖像画中岡慎太郎写真

慶応3(1867)年11月15日の夜のこと、
十津川郷士と名乗る人物が近江屋へ龍馬を訪ね、
藤吉が取り次ぐために階段を上っているときに
ます藤吉が背中から斬られました。

叫ぼうとする藤吉、叫ばせまいとする刺客。
その物音を聞いた龍馬は
「ほたえな!」と声を出してしまいます。
※ほたえな!=さわぐな!

その声で龍馬が居ることを確信した刺客たちは
そのまま2階へ行き、龍馬と慎太郎を襲ったんです。

慎太郎は後頭部を斬られ、龍馬は前額部を斬られました。
龍馬はこの一太刀で脳に達するほど斬られ、
脳漿(のうしょう)が出るほどの致命傷になったようです。

慎太郎も龍馬も手元に刀を置いていなかったため、
龍馬は、刀を取ろうとしたところをさらに斬られ、
慎太郎は小刀での応戦となりました。

刺客たちが去った後、龍馬と慎太郎は
失っていた意識を取り戻しました。

そのとき龍馬は「残念、残念。」と言い、
「おれは脳をやられちょる、もういかん。」
そう呟いたのが最期の言葉だったそうです。

その後藤吉は翌日に死去。
慎太郎は翌々日の11月17日に天へ旅立ちました。

土佐藩邸
当サイト中京区史跡マップ④番の位置 MAPはこちら>>

土佐藩邸は、近江屋とすぐ目と鼻の先。

龍馬は新選組や見廻組といった幕府側に
命を狙われていることは十分わかっていたはず。

本来なら土佐藩邸に居ることが一番良かったでしょうに…

なのに、土佐藩は冷たい!

本人には2度目の脱藩も許すと言っておきながら、
実務レベルでは脱藩は許されていないままのため、
土佐藩邸に居ることができなかったんですよね。

日本の歴史に残る大政奉還を
成し遂げたらすぐに天に召されるなんて…

龍馬個人の夢は果たせないままで逝くなんて…

天に神様が居るのなら、せめてもう少し海援隊で
世界を航海する夢をかなえさせてあげてほしかったですね。

龍馬と慎太郎の埋葬

龍馬の墓と中岡慎太郎の墓
龍馬と慎太郎の墓
当サイト東山区史跡マップ⑤番の位置 MAPはこちら>>

龍馬と慎太郎、そして藤吉の3人は、
龍馬が亡くなった翌々日で慎太郎が亡くなった日の
11月17日に、京都霊山護国神社(きょうとりょうざんごこくじんじゃ)
に祀られました。

脱藩したあとでも、幕末の最後には、土佐藩に
大政奉還の立役者という華を持たせてあげたのに、
龍馬と慎太郎の暗殺に関して、土佐藩は知らんぷり!

だから、棺も土佐藩からは出ず、
近江屋の主人が出してくれたそうです。

土佐藩は、ほんとにひどい!!

でも、自分の生まれ育った藩には
見捨てられたような感じになりましたが、
藩を超えての藩士同士の友情はしっかりありました。

龍馬と慎太郎の墓標の文字は
桂小五郎(かつらこごろう)が執筆しました。

ふたりの葬儀の日、たまたま、
小五郎は京へ上ってきていました。
そして、二人の訃報を聞いた小五郎が申し出て、
龍馬と慎太郎の墓標の文字を書いたんです。
                               
龍馬と慎太郎銅像
当サイト東山区史跡マップ⑤番の位置 MAPはこちら>>

龍馬と慎太郎が眠る京都霊山護国神社の近くにある
円山公園の中に、龍馬と慎太郎が並んだ銅像があります。

初代は昭和9年に建てられましたが、太平洋戦争で
金属の供出でなくなり、その後昭和37年に2代目が建てられ、
今あるのは2代目になります。

龍馬も慎太郎も、大政奉還という大きな大きな歴史の転換を
無事見届けた後、天に召されて行きました。

ここ円山公園で二人一緒に、今の日本のことを
ずっと見守ってくれているのかな…

スポンサーリンク







スポンサーリンク




関連記事

  1. 長州屋敷跡石碑 尊王攘夷志士達の重要拠点。京都の長州藩邸
  2. 相国寺薩摩藩士の墓 幕末の薩摩藩士たちが眠る京都の3つのお寺
  3. 龍馬の墓 坂本龍馬と幕末志士たちの墓
  4. 吉村寅太郎寓居跡説明板 尊王攘夷の急先鋒、京都の「吉村寅太郎」
  5. お登勢写真 龍馬の京都の母?!『お登勢』
  6. 中京区西側 京都中京区にある坂本龍馬史跡マップ
  7. 龍馬通看板 龍馬の隠れ家「酢屋」がある龍馬通
  8. 島原大門 京都下京区にある勤王志士幕末史跡マップ

ピックアップ記事

  1. 相国寺薩摩藩士の墓
  2. 武市瑞山寓居跡
  3. 寺田屋事件ピストル
  4. 蛤御門
  5. 桂早之助墓石碑
  1. 坂本龍馬酢屋石碑
  2. 和田岬砲台
  3. 龍馬ゆかりの地兵庫
  4. 上京区エリアマップイメージショット
  5. 無動庵
  6. 五代友厚大阪商工会議所銅像
  7. 二条城外観
  8. 相国寺薩摩藩士の墓
  9. お登勢写真
  10. 天保山跡石碑
  11. 薩摩伏見藩邸石碑
  12. 龍馬像撤去
  13. 霊山護国神社境内
  14. 桂早之助墓石碑

ピックアップ記事

  1. 東粉浜小学校
  2. 左京区エリアマップ
  3. 相国寺薩摩藩士の墓
  4. 古高俊太郎石碑
  5. 同志社

アーカイブ

スポンサーリンク




おすすめ記事

  1. 京都にある坂本龍馬ゆかりの地 京都御所正門
  2. 忘れかけられた龍馬を時の人にした田中光顕 陸援隊跡地
  3. 坂本龍馬と幕末志士たちの墓 龍馬の墓
  4. 幕末維新ミュージアム「霊山歴史館」を見学 霊山歴史館
  5. 幕末京都時代の桂小五郎
  6. 龍馬「寺田屋襲撃事件」の弾痕跡を見てきて・・・ 寺田屋事件ピストル
  7. 三条から御池界隈の幕末史跡めぐり 半平太と寅太郎寓居跡
  8. 大阪市福島区にある坂本龍馬史跡マップ 大阪市福島区中央市場前交差点
PAGE TOP