2014年 9月
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八月十八日の政変は土佐藩志士にも影響が!
文久3(1863年)年八月十八日に起きた政変をその日付けをとって八月十八日の政変といいます。この政変によって長州藩は、政治の舞台から去ることになりました。でも、その影響は長州だけでなく龍馬たち土佐藩にも及ぶことになったんです>_<
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京都御所の蛤御門に残る「禁門の変」の跡
どの藩よりも天皇を慕い、尊王攘夷の志が強かった長州藩ですが、それゆえに行動は過激になっていき、結果的に孝明天皇から嫌われてしまうことに…そんな長州藩が天皇を奪還すべく武力行使にでた禁門の変の爪跡は、今も京都御所の蛤御門に残っています。
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現在は京大キャンパスに!陸援隊跡地
中岡慎太郎が隊長となり、倒幕のための武力結社の本部としたのは、白川の土佐藩邸でした。現在その場所は、京都大学の北部構内の敷地になっています。150年前に幕府を倒すための集団がこの地で日々訓練していたなんて、今では想像もできない風景ですね^^
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京都上京区にある坂本龍馬史跡マップ
京都市上京区は、京都御所や京都府庁などがあり、ずーっと昔から京都の政治の中心の町ですね。幕末の大きな出来事では、京都御所のあたりで禁門の変が起き、同志社大学の敷地となっている場所にあった薩摩藩邸で薩長同盟が結ばれています。
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幕末の歴史的転換「薩長同盟」
龍馬や中岡慎太郎が間に入り苦心の末に奇跡ともいえる、薩摩藩と長州藩が手を組むことになった秘密同盟が締結されました。その場所が二本松の薩摩藩邸、小松帯刀屋敷だったんです。
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京都下京区にある坂本龍馬史跡マップ
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龍馬の隠れ家「酢屋」がある龍馬通
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池田屋事件発端の重要人物「古高俊太郎」