龍馬暗殺の実行犯京都見廻組桂早之助と渡辺吉太郎の墓

桂早之助墓石碑

慶応3(1867)年11月15日、京都の近江屋で坂本龍馬と中岡慎太郎は突然の訪問者によって殺されてしまいました。犯人には諸説ありますが定説となっているのが京都見廻組説。龍馬暗殺の実行犯といわれる2人のお墓がなんと大阪にありました。

幕末の薩摩藩士たちが眠る京都の3つのお寺

相国寺薩摩藩士墓

京都で亡くなった幕末の多くの志士たちは京都霊山護国神社に眠っていますが、薩摩藩士のお墓は見当たりませんでした。薩摩藩士は藩の菩提寺などにお墓があるようです。今回は薩摩藩士が眠る3つのお寺をご紹介します。

平成27年今年も高知駅前の龍馬像は台風11号で避難中

龍馬像撤去

今年も、台風11号の影響でJR高知駅前の坂本龍馬、武市半平太、中岡慎太郎の3人の志士像が一時撤去されたというニュースが朝日新聞デジタルで紹介していました。この先、撤去が必要な大きな台風が来ないことを信じたいものです^^;

蛤御門の変で果てた志士たちが眠る上善寺と相国寺

禁門の変では、長州藩士たちと幕府軍が武力衝突して壮絶な戦いとなりました。その時に亡くなった長州藩士と薩摩藩士たちが眠るお寺が御所の近くにあり、上善寺と相国寺の2ヵ所になります。今回はそこを訪ねてみました。

大阪市港区にある坂本龍馬史跡マップ

天保山風景

大阪市港区にある幕末の史跡といえば、天保山ですね。龍馬も西郷隆盛も勝海舟も天保山沖から船に乗って土佐や江戸、薩摩などへ行ったようです。外国から京の都を守るための砲台もつくられ、防塞の要と位置付けられてもいたようですね^^

忘れかけられた龍馬を時の人にした田中光顕

陸援隊跡地

明治時代になって世間から龍馬が忘れられていたときに、時の昭憲皇太后の夢枕に龍馬が立ち、日露戦争の勝利を誓ったという話を新聞が取り上げたことで龍馬は時の人となって改めて世間に認知されたんです。その立役者が田中光顕なんです。

幕末に大阪湾の防衛拠点にもなった天保山

天保山跡石碑

大阪の天保山は、龍馬も船で江戸や薩摩などを行き来するときによく利用したようですね。また天保山は、幕末から明治にかけては、諸外国から大阪湾を守るための拠点となって砲台も築かれていたんですね。

大阪にもあった勝海舟の海軍塾

大阪海軍塾跡地

幕末、神戸海軍操練所ができるまでの約半年間、大阪に勝海舟私塾の海軍塾があったんです。ビジネスマンが多く闊歩する中央区の本町界隈に海舟が寓居を構えてそこで海軍塾を開いていたそうです。龍馬も何度も通っていたそうですよ^^

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