幕末の薩摩藩士たちが眠る京都の3つのお寺

相国寺薩摩藩士墓
相国寺薩摩藩士の墓

幕末の時期、薩摩藩士たちも藩主の命令や戦いなどで命を落とました。
多くの藩の幕末の志士が京都霊山護国神社に眠っていますが、薩摩藩のお墓は見当たりません。
幕末の時期中心的な存在だったのに、一体どこにお墓があるのか不思議でした。

調べてみると、3か所藩士たちが眠るお寺がわかりました^^
 

禁門の変で亡くなった志士たちが眠る相国寺

相国寺薩摩藩士墓相国寺案内図
左側:薩摩藩士の墓 右側:相国寺案内図

相国寺は、同志社大学今出川キャンパスの北側にあります。
この同志社大学の敷地は、幕末当時は薩摩藩の二本松屋敷があったんです。
もともと二本松屋敷は、相国寺の土地を借りて作られたものなんです。

相国寺と薩摩藩との縁の深さがわかりますね^^

この相国寺の東門を出て東に行ったところに薩摩藩士之墓が建立されています。

このお墓には、元治元(1864年)7月19日に起きた禁門の変(蛤御門(はまぐりごもん)の変)で
長州藩と戦い亡くなった藩士たちと、大政奉還後の慶応4(1868年)年1月3日に始まった
新政府軍と旧幕府軍による鳥羽・伏見の戦いで犠牲となった薩摩藩士たちが慰霊されています。
 

寺田屋事件で亡くなった藩士たちが眠る大黒寺

 大黒寺
大黒寺

文久2(1862)年4月23日に、尊王過激派の志士たちが伏見の寺田屋で
クーデターの談合をしているところへ、京に上ってきた藩主の父島津久光(しまづひさみつ)の命令で、
説得に来た同じ薩摩藩士に上意討ちされた事件。

余談ですがこの事件の4年後の慶応2年(1866年)1月23日に、龍馬も寺田屋で幕府の役人に襲われて
瀕死の重傷を負った事件がありました。

後に妻となったおりょうが、お風呂に入っていて窓から捕吏が来ているのを見つけ、
「幕府の捕吏達が寺田屋を囲んでいる!」
と裸のままで、龍馬たちに知らせたという有名な事件ですね。

話は戻りますが、この寺田屋事件で上意討ちにされて亡くなった有馬新七、柴山愛次郎、橋口壮介、
西田直五郎、弟子丸龍助、橋口伝蔵、討手側の道島五郎兵衛、
また後で切腹させられた田中謙助、森山新五左衛門、山本四郎の合計9名の藩士が
寺田屋から歩いて10分程のところにある大黒寺に眠っています。

またこの大黒寺は、西郷隆盛と大久保利通が会談に使ったところでもあります。
 

薩摩藩の菩提寺東福寺

即宗院
即宗院のサイトから引用

東福寺の塔頭(たっちゅう)のひとつである即宗院は薩摩藩の菩提寺で、
薩摩藩六代藩主の島津氏久の菩提のために建てられたものです。

鳥羽伏見・戊辰戦争の薩摩藩慰霊碑があり、幕末の四大人斬りの一人で「人斬り新兵衛」と呼ばれた
田中新兵衛(たなかしんべえ)や上記の寺田屋事件の際久光の命で談合志士たちを説得に来た
奈良原喜左衛門(ならはらきざえもん)、道島五郎兵衛(みちじまごろべえ)等のお墓がここにあるようです。

西郷隆盛と清水寺僧侶の月照が討幕計画を密議したのもこの即宗院でした。
 

私は東福寺へはまだ実際には行っていないので、また出向いた際に写真を差し替えます^^;

 

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