上京区

京都市上京区の幕末史跡を訪ねて歩く

同志社

京都市上京区にある幕末の史跡を訪ねて歩いてみました。

本来江戸時代の政治は、江戸(現:東京)が中心だったのが、
幕末になると、天皇を軸に京都が中心に移ったように
感じられます。

同志社二本松薩摩藩邸跡石碑

二本松薩摩藩邸跡(現:同志社大学今出川キャンパス) 
当サイト上京区史跡マップ⑥番の位置 MAPはこちら>>

そして上京区には、日本史の教科書に載るほどの
大きな出来事の舞台になったところが2ヵ所もありますね。

まずは、龍馬立ち会いのもと、
究極に犬猿の仲だった薩摩藩と長州藩が手を握った、
幕末の歴史的転換といわれた、薩長同盟が結ばれた場所です。

この二本松の薩摩藩邸は幕末に入ってからできましたが、
とても重要な役割の屋敷だったようですね。
まるで、幕末から明治維新のためにできたような屋敷ですね^^;

薩摩藩邸跡地は、綾瀬はるかさんがNHK大河ドラマで
演じた新島八重(にいじまやえ)の夫、
新島襄(にいじまじょう)がつくった
同志社大学の敷地になっていますよ^^

小松帯刀屋敷跡の現在小松帯刀屋敷跡石碑
左:小松帯刀屋敷跡の現在 右:小松帯刀屋敷跡石碑 
当サイト上京区史跡マップ⑤番の位置 MAPはこちら>>

小松帯刀(こまつたてわき)の京都での屋敷は、
応仁の乱の洛中での最初の合戦地となったあたりに
あったんですねえ。

この石碑の向かい側が屋敷だったといわれていますが、
今は戸建て住宅が並ぶ住宅地になっています。

薩長同盟のために京に入ってきた桂小五郎(かつらこごろう)らは、
この屋敷に滞在したそうです。
また薩長同盟は、最終的にこの小松帯刀の屋敷で
結ばれたともいわれていますね^^

蛤御門幕末御所案内図
左:蛤御門 右:京都御所周辺図 当サイト上京区史跡マップ③番の位置 MAPはこちら>>

ここ京都御所で、薩摩藩と会津藩が手を組んでおこした
クーデター「八月一八日の政変」がおき、
長州藩は、御所の警備の任も解かれてしまうは、
朝廷に対しての発言権もなくなってしまったんです。

それがきっかけで薩摩藩と長州藩の関係が険悪になったんですよね。

そして、その後池田屋事件を経て、この御所まわりの各門のあたりで、
禁門の変(蛤御門の変(はまぐりごもんのへん))がおきて、
長州藩は薩摩藩も加わった幕府軍に負け、ついに朝敵になってしまったんです。

そこからは、長州藩からすれば、薩摩藩は単に嫌いというレベルではなくって
憎悪に近い感情だったようですね^^;

そんな両藩が、土佐藩浪士の龍馬と中岡慎太郎の働きで、
手を結ぶことができたというのは、今の時代から見ても奇跡的なことですね^^

梨木神社梨木神社能舞台
梨木神社 当サイト上京区史跡マップ④番の位置 MAPはこちら>>

京都御苑の東側にある梨木神社は、
三条実美とその父三条実万(さんじょうさねつむ)の二人を祀っている神社なんです。

公卿のなかでも、三条実美(さんじょうさねとみ)は、
尊王攘夷急進派のお公家さんでした。

八月一八日の政変がおこるまでは、
朝廷内で力を発揮していて、
幕府に攘夷を決行させるために天皇に働きかけていました。

それが、八月一八日の政変で、
翌朝突然、朝廷を追われる身になってしまったんですよね。

それで、長州藩士たちに守られながら長州へと行って、
一時は長州藩にかくまわれていましたが、
幕府からの命令で福岡藩に預けられて大宰府で
3年間も幽閉生活を送ったんですね。

梨木神社には、能舞台のようなものもありました^^

ここの境内の井戸水は、京都三名水のひとつといわれています。
そして、9月下旬には萩祭りがおこなわれるくらい
萩がたくさん植えられているそうです^^

私が行ったのは、9月上旬だったので、
残念ながら、萩の花は咲いてなかったです^^;

そしてもともとは、この神社の場所に
三条家の屋敷があったそうですよ。

幕府側の史跡

京都府庁
京都府庁 当サイト上京区史跡マップ②番の位置 MAPはこちら>>

京都御所の少し西側に、現在は京都府庁となっている場所に
幕末当時は、京都守護職公邸があったんですね。

文久2(1862)年当時、京都で尊王攘夷志士たちの中でも
二流三流というレベルの志士たちが
天誅という名目で、佐幕派の志士を殺害したり
無謀なふるまいをしていたんですね。

そのため幕府が京の治安のために京都守護職を
おくことにしたんです。

新選組や見廻組もこの京都守護職の配下にあったんですね。

待賢小学校京都所司代石碑
京都所司代跡(現:待賢小学校) 当サイト上京区史跡マップ①番の位置 MAPはこちら>>

京都所司代は、もともと江戸時代を通じて、
京都の治安維持のために幕府が置いた機関ですね。

皇室や公家の監視や西日本の諸大名の監視などを
おこなっていたようです。

治安維持といっても、庶民のためというよりも
徳川家安泰のためにある組織のような感じがしますよね^^;

そのためか、幕末の混乱期には
京都の治安を京都所司代だけで治めるのはむつかしく、
新しくできた京都守護職の配下に入ったんですね。

京都所司代の跡地には、明治3年に日本で最初の中学校、
京都府立京都第一中学校が建てられたそうです。

今は、京都市立待賢(たいけん)小学校の敷地になっていて、
敷地内にポツンと石碑が立っていました^^

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