龍馬の隠れ家「酢屋」がある龍馬通

龍馬通看板龍馬通風景

京都の河原町三条を一筋下った通りを「龍馬通」と呼びます。

この通りは、龍馬が暗殺される約1ヵ月前くらいまで
住んでいた材木屋『酢屋』があるから、
「龍馬通」とついたんですね。

「龍馬通」という名前がついたのは、2012年頃らしいので、
比較的最近ついた名称なんです。

「龍馬通」というくらいなので、
どのくらい龍馬感があるかというと…

普通の通り道で飲食店が並んでいるだけでした。
ただ、多少は龍馬を意識したお店もありましたけどね^^;
 

酢屋入口
当サイト中京区史跡マップ⑥番の位置 MAPはこちら>>

この『酢屋』があるからこそついた龍馬通というんですよねえ^^

京都で龍馬が隠れ家として住んでいたとして有名なのは
幕府の役人に襲われた伏見の寺田屋と、
龍馬が暗殺された河原町の近江屋です。

この2つよりは少々マイナーな感じはしますが、
実は近江屋を住まいとする少し前まで龍馬が居たのが
酢屋なんです!

この酢屋は、龍馬が住んでいただけでなく、
海援隊の京都の本部をも置いていたんですよ。

慶応3(1867)年の6月24日に、龍馬が故郷の乙女姉宛に
5mもの長い長い手紙を書いたのも酢屋の2階の部屋だったんです。

伏見の寺田屋は、明治時代に建て直されたもののようだし、
近江屋は石碑しか残っていないけど、
酢屋は、龍馬が居た当時から同じ持ち主が同じ場所で
ずーーっと営業しているという貴重な建物なんですっ!

年月とともに改装はしているので、
見た目は新しくなっているけど、
龍馬が居た時と同じ建物であることは間違いないです。

龍馬が居たといわれる2階の部屋は、
一般公開しているので龍馬と同じ空間を体感できますよ^^
 

土佐屋室戸

酢屋の3軒ほど東側にあるお店です。
この焼鳥屋さんは、『土佐屋室戸』という名前です。

龍馬通に店を構えていて、龍馬が土佐(現:高知)出身だから
という理由でつけた名前ではなさそう。
お店の店主が高知県室戸の出身だからつけたそうですね。

土佐地鶏を使った焼き鳥と土佐料理のお店みたいです。

私は今回朝早い時間に行ったので外観しかみていませんが、
龍馬が暗殺される前に食べたがっていたといわれる
軍鶏鍋(しゃもなべ)もあるようなので、
思いを馳せながら食べてみるのもいいかも?!
 

チファジャ

酢屋の並びで数軒西側にあるお店で、
『チファジャ』という食べ放題の焼き肉チェーン店です。
だから、龍馬ゆかりのお店でも何でもないんですが、
「龍馬通」をアピールしていたので写真に収めました(笑)
 

高瀬川説明図現在の高瀬川

龍馬通のすぐ東側には龍馬が居た当時も今も、
高瀬川はずっと流れています。

酢屋の向いは、今は飲食店が並んでいますが、
幕末当時は車道をはさんで、
舟入といわれる高瀬舟で運んできた
物資の積み下ろし場がありました。

酢屋は材木商だったので
材木の積み下ろしをそこでしていたようですね。

龍馬は、酢屋の2階の部屋の窓から、
舟入に向かってピストルの練習をした、
ともいわれているんですよ^^

右側の写真は、現在の高瀬川です。
幕末の頃は、この川を使って伏見との間を
お酒や材木、海産物なの多くのものをの輸送していたので、
今よりは水量があったんでしょうねえ。

今は、幕末当時の面影は石碑でしか感じられませんが、
春ともなると桜がきれいに咲き、とても風情のある川です^^
 

龍馬情報交差点2龍馬情報交差点1

龍馬通にあるお店ではありませんが、
龍馬通から歩いて2~3分くらいのところにある、
木屋町通の都会館というビルの1階にあるお店で
『龍馬資料館』という飲み屋さんを見つけました!

ここでお酒を飲みながら、龍馬のことなんかを語り合う場
といった感じなんでしょうかねえ^^

NPO法人京都龍馬会の事務局も兼ねているようですね。

京都で幕末の史跡を見た後、さらに龍馬に浸りたいなら
行ってみてもいいかも!^^

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